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「無口な村上春樹と私たちの無限の想像」
『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』村上春樹(文藝春秋、2013年)

 村上春樹は常に想像の余地を残した物語を読者に示す。「これがこうなって…こういう結論に繋がる」という様な整然とした流れが見えず、物語内での位置付けや解釈が一見して分からないエピソードの集積であり、全ての答え合わせがされることは殆どない。所々に配された不可思議な現象やエピソードの意味合いや繋がりをせっせと想像することが無限に許されているのだ。求められていると言っても良い。それをもどかしく思う人もいれば、楽しみと感じる人もいるだろう。 

 村上春樹の前作『1Q84』は発売後、その内容の解釈を巡って多くの議論がなされ、書評を集めた本が出版されるなど、読んだ人にも読まなかった人にも強い印象を残した話題作であった。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』もまた、2013年の年間ベストセラー第一位(日販調べ)に選ばれるなど、人気が持続していることがうかがえる。今作は、社会の問題を様々なメタファーを用いて指摘し、三部作という長編になった前作と比べると、物語のスケールが小さく、視点も主人公つくるに固定されている。主人公多崎つくるの心の変化を丹念に追い、個と個が作り上げる人間関係に焦点を当てている、という印象を受ける。

 主人公の多崎つくるは大学生時代に、長く親密な付き合いをしていた四人の友人たち(アカ、アオ、シロ、クロ)から、突如一方的に絶交を言い渡される。理由も分からないまま、つくるはそのショックで半年の間、死の淵をさまよい続けた。
 時が経ち36歳になったつくるは、ガールフレンドの沙羅から、四人を失ったことに起因する喪失感や孤独感を未だに抱えていることを指摘される。それを乗り越えるためには、過去と向き合い、17年前の真相を知るべきであり、そうしないことにはあなたと男女の関係でありたくない、とも。つくるは、真相を知るべく四人に会いに、過去の巡礼に出かける。


 今作においても、放たれたまま解明されない多くの謎・リズミカルな会話・物語の中で流れ続ける音楽の存在などといった「村上春樹作品と言えば」と問われて思い浮かぶ要素がふんだんに散りばめられている。特に、読者によって解釈が様々な、または自分の解釈を持つことさえ出来ないようなエピソードや比喩が多く、読後に「そういえばこの人物は、この話は何故出てきたのだろう」と考えさせる。特につくるの恋人(ほぼ恋人と言える)である沙羅という女性は、物語の鍵となる人物である一方で謎に満ち満ちた存在だ。
 沙羅はつくるが巡礼の旅に出るきっかけとなり、具体的手助けをすることでつくるの背中を途中で何度も押してやる、主人公を導く物語の鍵となる存在である。つくるは沙羅が自分を待っていてくれる、つまり恋人になってくれると思い過去の巡礼を行うが、物語の終盤、高校時代の親友の最後の一人に会いに行く直前に沙羅が他の男性とデートをしている現場を見てしまう。
 つくるの視点から「顔立ちが気に入った」「服にも好感が持てた」「セックスが心地良く充実したものだった」と語られても、沙羅の内面が描かれていないことや過去について彼女が必要以上に語りたがらないことで、読者は彼女自身が何を考えているのか分からない。何故か人の内面をお見通しで、ミステリアスで、「長く付き合ってほしい」「自分だけを見てほしい」といった現実的な望みを口にしてつくるにあからさまな好意を寄せる一方で、どうやら浮気をしている。沙羅という存在に対してそれ以上の理解が出来ないのだ。
 巡礼の旅を終えたつくるは、「沙羅がおれを選ばなかったら、おれは本当に死んでしまうだろう」と確信する。彼の前には「沙羅と」幸せになるか、死ぬかという二つの道だけが存在し、彼の命運は沙羅に託されてしまった。彼が一途に沙羅に傾倒してゆく様からは、この旅はそもそも沙羅がつくるに「させている」ことであったと改めて認識させられる。沙羅の側から言えば、他の人間を真剣に求めることがなかったつくるに、自分(沙羅)を求めさせる為の試みであったのだ。しかし、つくるの過去の謎が解き明かされていく一方で、主人公の命運を握る沙羅の謎は色濃く残されたままである。訳知り顔の様子からは、純粋な謎めきというよりも不気味さすら漂っており、そのことが、この物語を前向きで気持ちのいいものとして単純消化することを妨げている。

 この先どうなるのか、沙羅は一体何者なのか、またその他の放たれたままの意味深なエピソードについて、続編という形で謎の答えが示されない限り、読み手は考えを巡らし続けるより他はない。「つくるは心の問題を乗り越え、愛する人と幸せに暮らしました」という単純な結末への期待をさらりと裏切り、語られないことで生じた意味の空白地帯を読者が自らの想像力で埋めることを求めてくる物語である。
 

(鵜川真衣)

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